最後から二番目の思想

それは終わりから二番目のような、儚く醜い独り言

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私の人生と福袋観

私は福袋が好きだ。
もはや自他ともに認める福袋マニアである。

しかし実家を離れてはや二年
私はさほどの数の福袋を買っているわけでもなければ
日夜時期外れの福袋を探し回って
日々ネットの海へと漕ぎ出しているわけでもない

それには色々な問題が関わっているわけだが
それは詰るところ「金がない」からに他ならない

それはともかくとして
私はなぜ福袋が好きなのだろうか
これは改めて考えると難しい問題である

今日はブラインドタッチの練習
を行うため、ブログ更新をすることとする

「これは訓練である!繰り返す、これは訓練である!」


この問題を考えるうえで
まず、私が福袋を最初に買った、あるいは
買おうと考えた時期がいつであるのかを考える必要がある

これについては恐らく私の記憶する限りでは
洋服の福袋が始まりであろう

そうだ。私の最初の福袋はいわゆる「あたり」であった。
その中身というものは、とてもバラ売りで同じ額で買えるものではない
見渡す限りの黒。その光景に私は興奮という感情を覚えた。
私は変わってしまった。


私はもともと
祭りのくじが好きだった。
ゲームセンターが好きだった。
パチスロ(アミューズメント用)が好きだった。

もともと、ある種のギャンブル欲求を抱えていた私が
福袋というお徳感溢れる遊びに興じることは目に見えていた。

しかし、福袋最大の問題は
「中身を全て愛せるのか」ということに他ならなかった
これは福袋の抱える永遠のテーマである

これを解決するために人は交換会を開いたり
ヤフオクで売るということをする
しかし、これは沖縄では容易ではない

そこで私が行った解決法は実に単純明快である。

「中身がある程度補償されていない福袋は買わない」
「出来る限り趣味を広く持つ」
この二つである。

そのうち、前者を駆使して買った福袋に入っていたのが

GetAttachment[1]

もう一年以上大学生活をともにしているこのタチコマである。

そして後者といえば
明日にでも届くであろう服の福袋である。

最近私の服の配色がおかしい。
旧友と街ですれ違っても気づかれないかもしれない。

明るい服を着始めてから、性格も変わった。
やはり暗い服だけでは気が滅入ってしまう。

人という意思の弱い生物が「変わる」ためには
それはそれなりの工夫が要るという

その最たるものが、環境を変えるということらしい
そうならざるを得ない状況に身を置くことにより
人は流れるままに変わっていけるのだと

つまり何が言いたいのかといえば
最近お悩みの方、福袋はいかがですか?ということなのです。


ブラインドタッチが割と出来るようになった!!
この調子だコブタ!!

ほんとにどうでもいい話ですいませんでした。
明後日にでも福袋晒します。

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